Flamingoについて

初めまして ryeと言うものです。恐らく、読むのはツイッターの一部のフォロワーさんだけなんじゃないかな〜と踏んでおりますが念のため。

前々からブログには興味があって、今回契機があって踏ん切りがついたので始めた次第です。

前置きはこの辺にしておいて本題に入ります。タイトルにもある通り、今や知らない人もいないであろう今をときめく音楽界のスーパースター米津玄師さんの新曲、Flamingoについてです。

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つい昨日YouTubeにて公開され、公開から約一日で急上昇ランキング1位、そして再生回数はなんと261万回!しかしツイッターでサーチをしてみると意外と「微妙」という声が多いようです。

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これを見て、ハチ時代からのファンである私は憤慨を覚えると同時に、また嬉しくも思ったのです。

米津さんのここ最近の人気は目覚ましく、ドラマの主題歌を務め、CMでも起用されたLemonは、どこのショッピングモールに行っても必ずと言っていいほど流れています。その他LOSER、orion、ピースサイン等、近頃の米津さんの楽曲は総じて万人受けしており、汎用性が高いものになっています。このLOSERからLemonにかけて人気が高まった2017年から2018年前半のことをBOOTLEG時代と呼びましょう。

このBOOTLEG時代に米津さんは一躍人気となり、私の周りでも恐らく名前も知らない人はいないんじゃないだろうか、と思えるほどの知名度を得ました。

私はこのBOOTLEG時代のことを面白くないなあと思っていました。

好きだったアーティストが人気になってしまい、嬉しいはずなのにどこか寂しく感じるという経験をしたことがある人は、決して少なくないのではないでしょうか。それと同様の感情を、私も持っていたのです。

しかし、BOOTLEG時代を快く思っていなかった理由はもう一つあります。それは米津玄師らしさの喪失です。私の思う米津玄師らしさというものの一つには、不思議で聞き慣れない小難しい言葉を使っているに、それでいてどこかパッパラパとしている阿呆らしさにあったのです。しかし、BOOTLEG時代にはそのどこか格好良い阿呆らしさが失われていたのです。

BOOTLEGのアルバムを聴いた時、音楽自体は格好良く、美しいものだと素直にそう感じました。しかし私の好きだった不器用な昼行灯をそのアルバムの中に見出すことはできませんでした。

私は悲しく思いました。ああ、あの好き勝手に音楽作ってた頃の米津さんはもう死んでしまったのかと。Lemonが発表され、私のその思いには拍車がかかりました。LemonのB面の楽曲であるクランベリーとパンケーキ、Paper Flowerに救いがあったかのように思えましたが、それらはあくまでもB面の楽曲で、Lemonのおまけでしかなかったのです。そのため私の蟠りが消えることはなかったのです。

しかし、今回発表されたFlamingoは、そのような寂しさに苛まれていた私を見事に救ってくれたのです。

阿呆らしくありながら、切なさを含んだ格好良さがあり、それどころか以前にはなかった妖艶な雰囲気を醸成し、米津玄師らしさというものを進化させてみせたのです。

BOOTLEG時代以前の阿呆らしさ、ハチ時代から失われることのないどこか寂しさを孕んでいる格好良さ、そして新たに生まれた危険な色香が絶妙に混じり合い、Flamingoは多くのファンの心を動かしました。

Flamingoを微妙と評した多くの輩は、恐らくBOOTLEG時代の米津玄師しか知らないミーハーな連中なのでしょう。だからこそ、私はそんな意見を見てほくそ笑むことができるのです。そして、嬉しく思うのです。